「松永真、デザインの話。+11」松永真/BNN

 松永真の手掛けた広告、デザインの仕事を紹介する本。デザインを手掛けたある仕事の発端となった話が紹介されており、とても気に入ったので長いけど抜粋。
 〜チベットのラマ層が話した寓話〜
 「『十二個の大きな石の話』
 ある日、チベットラマ僧が若い修行僧の集まりで、話をしていた。ラマ僧は集まっている修行僧たちの前に一ガロンほどの広口の壺をを置き、そこに一ダースほどのこぶし大の石をひとつひとつ入れていった。やがて石が壺の入り口のところまで一杯になると、ラマ僧が修行僧たちに尋ねる。『この壺は一杯でしょうか?』修行僧たちは皆『はい』と答えた。だがラマ僧は次にバケツ一杯もの砂利を取り出し、その壺へザーッとあけて振ると、大きな石の隙間にその砂利が入り込んだ。それからラマ僧が再び尋ねた。『この壺は一杯でしょうか?』『たぶん違います』修行僧たちも、さすがに何かに気付いたようだ。『よろしい!』ラマ僧はそう答えると、次にバケツ一杯の砂を取り出した。その砂を壺にあけると、砂は石と砂利との隙間へと流れ込んでいく。そして再び『この壺は一杯でしょうか?』と問う。『いいえ』修行僧たちは叫んだ。またもや『よろしい』ラマ僧はそう言うと次に水指しを取り出し、壺へと水を注ぐ。
 そして水が溢れそうになったとき『この例えの意味するところは、一体なんでしょうか?』と問いかけた。ひとりの若い修行僧が手を挙げて答える。『自分の時間表がどれだけ詰まっていようが、その気になれば、いつでもそれ以上のものを組み込めるということです』『いいえ』ラマ僧は首を横に振った。
 『大きな石は先に入れなければ、後から入れようと思っても入らなくなってしまいます。あなたたちの人生にとって大きな石とは何でしょうか?子供たち。あなたの愛する人たち。あなたの教養。あなたの夢。大義名分。他人の教育指導。好きなことをすること。自分のための時間。あなたの健康。あなたの大切な伴侶。自分自身と他人への敬意。そして、地球への思い遣り。こうした"大きな石"を、まず最初に入れることを覚えておきなさい。さもなければ、それらを入れることができなくなってしまうのですから。もしあなたが砂利や砂のように些細なことに汗するならば、あなたを悩ませる、大した問題ではない、つまらないことに人生を費やしてしまうでしょう。そしてあなたは大きくなり、大切な事柄に向き合うべき本質の時間をもてなくなってしまいます。ですから今夜・・・いや、明朝にもこの話を思い出し、自分自身に問うてみて下さい。自分にとって大きな石は何でしょうか?そしてそれをあなたの壺に、最初に入れることです。』」